こんにちは、えらせんです。
今日はね、いつもより少し静かな場所でこの文章を書いています。
山の上、風の音しか聞こえないようなところで、ふと、ある大切なことを思い出したから。
それは──
「この世界には、自分しか存在していない」という話。
これ、いきなりスピリチュアルっぽいって思った?
でも、もう少しだけ聞いてみて。
これは、ふわふわした話じゃない。
むしろ、めちゃくちゃ“実践的”な話。
自分の内面が、世界をつくっている
僕らはつい、「外側」に現実があると思いがちです。
・ムカつく人がいる
・理解してくれない親がいる
・うまくいかない恋人がいる
・評価してくれない上司がいる
でも、それって全部「外側のせい」じゃなくて、
自分の“内面の状態”が、外に投影されてるだけなんです。
映画館のスクリーンに映像が映るように、
現実っていうのは「あなたの心が映し出したもの」。
目は「見るもの」じゃない。映すもの。
フリーメイソンのマーク、知ってる?
ピラミッドの上に、目が描かれてるアレ。
あれって、「真実を見抜く目」って意味もあるんだけど、
もう一つ、本質的な意味があるんです。
それは──
目は“現実を映すプロジェクター”であるってこと。
僕らは“見ている”と思ってるけど、実は“映してる”。
心の状態が、そのまま世界に投影されているだけ。
つまり、今目の前にある現実は、あなたの心の中の映画です。
試されるのは、むしろ“うまくいってる時”
心が整ってきたな。
波動も上がってきた気がする。
よし、これからもっと良くなるぞ!
…と思ったタイミングで、
「えっ、なんで今こんなことが起こるの?」っていう試練がくる。
それって、実は“合図”なんです。
「今の自分の在り方、本当に本物ですか?」
そうやって宇宙は、あなたに“確認”してくる。
しかもそれは、どうでもいい他人じゃなくて、
大切な人とか、信じてた人を通して仕掛けてくるから、エグい(笑)。
でも、それはね、「あなたが間違ってる」からじゃない。
むしろ、“本質に近づいてきたから”こそ、
ちゃんと乗り越えられる課題を出してくれてるんです。
実るほどに、神戸を垂れるイホかな
「正しい」ことをしていても、
どこかに「自分は分かってる」という“驕り”が出る瞬間がある。
そんな時に、ふっと現れる“現実”。
それを見た時に、自分の心に問いかけてみてほしい。
「今、自分は謙虚だっただろうか?」
「相手を、ほんとうに尊重できていただろうか?」
人間って、実るほどに、頭を垂れるもの。
立派な稲穂ほど、静かに腰を落とす。
だからこそ、「上から投げる言葉」じゃなく、
「相手の胸に届く言葉」を投げられる人でいたいと思う。
それでも伝わらないときは、手放していい
もちろん、愛のボールを投げても、
斜めに返ってくることもある。
変化球だったり、どこかにぶつけられたり。
でも、そこで無理にキャッチしようとしなくていい。
相手の成長や気づきも、相手のタイミングがある。
だから、こう考えてみてください。
「この人とは、今は“違うステージ”なんだ」
それは「縁を切る」とか「敵に回す」って話じゃない。
ただ、今の自分とは違うテンポ、違うテーマを生きてるだけ。
だから、そっと手放していい。
結論:世界は、自分の“映写機”でできている
この人生は、「他人と比較して生きるゲーム」じゃない。
誰かに認められるためのものでもない。
自分の内面を映したこの世界で、
どう愛を伝えていくか。
どう“優しい球”を投げていくか。
その積み重ねで、人生は変わります。
だから──
今日もあなたの心の中に、優しい種をまいてください。
そして、誰かの胸に届く球を投げてあげてください。
それが、世界の優しさになるから。
それではまた、えらせんでした。