こんにちは、えらせんです。
今回は「SNSで誹謗中傷をしてしまう人が知らないうちに失っているもの」について話していきます。
①「時間」と「集中力」
SNSで誰かを叩いている時間、その人の人生には一ミリも関係のないはずです。それなのに、画面の向こうの誰かを罵るために言葉を考え、投稿し、時には反応を気にして見返す──そのたびに、あなたの「集中力」や「時間」は、ゆっくり確実に奪われていきます。
本来使うべきだったはずの大切な時間、もっと別のことに使えたかもしれないエネルギーが、「負の感情」に吸い取られていることに気づいていない人は多いです。
②「人としての信頼」
たとえ匿名でも、「誰かを叩く」という行為は不思議とにじみ出るものです。
本人は隠せているつもりでも、どこかで“攻撃的な人”として見られていたり、
「なんか怖い人だな」「言葉にトゲがあるな」と感じられてしまうことも少なくありません。
いちど失った信頼は、取り戻すのが本当に難しいです。表では優しい顔をしていても、裏で誰かを叩いている──そんな一面が透けて見えると、人は本能的に距離を取るようになります。
③「自己肯定感」
皮肉ですが、SNSで誰かを叩いている人ほど、本当は自分自身に満たされていないことが多いです。
「自分は正しい」と思いたくて、「相手を間違っていることにしたい」──
この構図は、実は自分の中の不安や寂しさの裏返しです。誹謗中傷で一時的に“自分が上になった”ような気持ちになれても、それは自己肯定感ではなく、ただの錯覚です。
むしろ、誰かを傷つけるたびに、無意識に「自分はこういうことをしてしまう人間なんだ」と自己評価を下げていく。そうして、本当に欲しかったはずの「安心感」や「肯定感」から、ますます遠ざかってしまいます。
それでも「言いたくなる」とき
「だって腹が立ったから」
「許せなかったから」
「放っておけなかったから」
…その気持ちも、わかります。
でも、言葉をぶつけた先に、なにが残るかは一度立ち止まって考えてみてください。
あなたの大切な時間、信頼、心の余裕──それをすり減らしてまで、伝えるべき言葉なのか?
もし少しでも迷うなら、「伝えない」という選択肢も、きっと優しさです。
まとめ
誹謗中傷は、誰かの心だけでなく、自分の人生までも静かに蝕んでいくものです。ネットには「見なくていい情報」「関わらなくていい人」もたくさんいます。その境界線を、自分で引けるようになることが、大人の優しさかもしれません。
次回はもっと面白い記事を書くので、お楽しみに!
感想やご意見は、コメント欄でお待ちしてます。
確かにその通り